緩和ケア病棟の看護師/辞めたいナースの悩みと本音

緩和ケア病棟の看護師は迷える子羊

緩和ケア、ホスピス、ターミナルケアと名称は違いますが
役割はほぼ同じものです。

 

回復の見込めない患者さんの終末期医療を担うものであること
に違いはありません。

 

新卒で緩和ケア病棟に配属になった、
20代前半で緩和ケアに異動になった

 

今回は自分が特に希望したわけではないのに
緩和ケア、ホスピス、ターミナルケアに従事しなくてはならなく
なった若い20代看護師がどうすればいいのか、考察してみたいと思います。

 

同時に、緩和ケアの分野は
こう言うと語弊があるかもしれませんが
隠れた人気なのです。

 

実はこうなっています

余談になりますが、少し説明します。
両親のどちらか、祖父祖母などを癌でなくしたときに
緩和ケアにお世話になったという経験がある看護師が
自分の体験から、患者家族に寄り添いたいという情熱をもって
希望する場合があるのです。

 

さらに、看護師経験が10年、20年と長くなるうちに
多くの亡くなっていく患者さんを見送るうちに
看護師としての死生観に変化が生まれて
終末期医療やQOL(クオリティオブライフ)に関心を持ち
緩和ケア病棟に転職や異動を希望する人がある一定数いるのです。

 

すみません、話が逸れましたね、
本題に戻りましょう。

 

もともと自分の進みたい道ではなかった

自分の意に沿わず、緩和ケアになった
若い看護師さんの悩みですね。

 

もう、あなたは分かっているはずです!

 

緩和ケア病棟では、
患者さんの元気になって退院する姿を見ることはできないのです。
一般的な医療が治癒、寛かいを目的としているのに対して、緩和ケアの出口にあるのは
死だからです。

 

予定された死に対して、毅然としていられる人は多くはありません。
それが、看護師への暴言、わがまま、暴力となることはあなたは身をもって知っているでしょう。

 

さらに患者の家族も予期される死に対して冷静でいられるわけがありません。
多くの患者家族が一時的に精神錯乱状態に陥っているといってもいいでしょう。
そのことで担当看護師への辛い対応をすることも出てきます。

 

患者の痛みがひどい、精神的に鬱状態にある場合はなおさらで
どうにかならないのかと詰め寄られ、筋違いな批判や罵倒されている
看護師も多いのです。

 

緩和ケア病棟の看護師はそんな状況に置かれても
感情を荒げた対応をすることはできません。

 

師長からは「患者さんは痛みに耐え、死と闘っているのだから、仕方がないのよ」と
いつも指導、教育されているあなたは、顔面には笑顔を造り、心では泣いています。

 

感情労働=スマイル0円!

感情労働という言葉があります。
マクドナルドの店員さんってアルバイトでも
いつも朗らかで笑ったような雰囲気ですよね。
ディズニーランドでもキャストはいつも笑顔です。

 

「スマイル0円」というキャッチコピーに代表される
ように笑顔って、タダ=無料なんです。

 

特に日本のサービス業では仏頂面はタブーとされていて
スマイルでの接客が当たり前になっています。

 

余談ですが、中国や香港での接客はデパートでさえもひどいものです。
最近では日本企業の影響でそうでもないらしいのですが、
スマイルなしで、購入した商品を包装した袋を投げてお客に渡したりするので
日本人観光客はカルチャーギャップを強く感じるものです。

 

あ、また話が逸れました…

要するに感情労働というのは
労働の対価としては含まれていないにも関わらず
労働者に強制的に奉仕させるもので、
そのような現場で働く人への強いストレスを生むことになっている
という現象を指すのです。

 

労働組合的にいうと、目に見えない労働強化であると。

 

もちろん、使命感を持ち、やりがいを感じて緩和ケアに飛び込んだ
キャリアもあり、目的意識をもっている看護師でも
かなりの割合で挫折を経験し、離職することの多い分野でもあります。

 

ああしてあげたい、こうしたらいいという理想が
緩和ケア病棟で死を臥して待つ患者さんの心に届かないことも
多々あるのが現実だからなのです。

 

こういうケースを見るにつけ、日本人にも宗教が必要だなと感じます。
日本人の多くは仏教徒なのですが、日頃それを意識して生活している人は
極めて少ないのが現状ですね。
よって、日本人が死と生について考える機会は、肉親や親せきの葬儀ぐらいのものです。

 

世界のほかの国ではキリスト教、イスラム教、ユダヤ教など
毎週教会へ行き、神と自己の関係性において、どう生きるべきか
どう死にゆくべきかを考えています。

 

宗教的意識が自然と死生観を熟成する環境にあるといってもいいでしょう。

 

たまに聞くことですが、キリスト教系のホスピスに入院した患者さんで
無宗教(実家はほとんどが仏教でしょうが)の方が死を覚悟して
洗礼を受け、キリスト教に帰依するというケースがあります。

 

ここで、私が言いたいことは、宗教に入れということではありません。
問題は死を迎えるにあたっての精神の安寧という問題です。

 

私の立場は宗教で精神の安寧が保たれるなら、それを利用するのもいいのではないか
ということです。
ちなみに私は無神論者です。実家は臨済宗ですが…

 

あ、またまたまた話が…

急いで本題ですから、心して聞いてください。

 

若いあなたに患者さんの死生観を受け止めることは
まだ早かった、とは思えないでしょうか?

 

宿題として、もし将来
あの時は自分も未熟で患者さんの気持ちに寄り添うことができなかった
いま、再び。と思える機会があれば再挑戦すればいいだけの話です。

 

マジメな看護師ほど、緩和ケアから離れることに
罪悪感というか、逃げるような意識を持ちがちです。

 

ハッキリ、言いましょう。
誰がやってもたいへんなんです。
どのようなスーパー看護師がやっても難しい分野なんですね。

 

看護師が看護技術を磨き、発揮する場は
とても広いのです。

 

若いうちの経験は宝石です。
悩んでいるあなたにはもっと自分を向上させ
作り笑顔ではなく、自然に笑顔が出る診療科や病棟があるのですから。
病気やケガが完治して退院していく患者に
「ありがとう」と言われることは看護師にとってなによりの喜びです。

 

転職して新たな挑戦をすることを考えてもいいと思いますよ。

 

私のサイトには
若い看護師さんがどういう診療科や病院で輝けるのかを
実践的にガイドした記事が多くあります。
ご参考にしてください。